藍より青く

歌い手のそらるさんにハマったバンプオタのブログ。@momomomoai3

そらるさんの「歌ってみた」で特に印象的だったもの~ハマって1ヶ月時~

前回のあらすじ:時は2016年2月、14年応援してきたバンプの20周年ライブに行けなかった悲しみの元、気持ちを晴らす気持ちでネットサーフィンしていたらそらるさんに出会った。

バンプオタ14年目にしてとある歌い手さんにハマった話 - 藍より青く

 

そらるさんの、300以上ある歌ってみた動画の中で、初期に知って

「これは魅力的!」

と思った動画がいくつかある。

 

Alice acane-madder ver. 歌ってみた 【そらる】(古川本舗さん)2009/11/14投稿

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この曲は、大学時代から好きだった曲(ryoさんで時を止めていたと言ってもいいニコ動音楽知識だったけれど、いざ歌い手さんに興味をもって丁寧に思い返してみればこの曲もよく聴いていた)。溶けるような男性ウィスパーボイス。いわゆる「ケロケロ加工」というものが自分の趣味だということを初めて知った。少なくとも、「そらる」さんというひとが行うそれなら大丈夫なのだ、元々機械が歌うために作られた曲を人間が歌う時に機械と人間の声が溶けあうようなつくりで提供されるのは魅力的なのだ、と気付いた。

私はそれまでバンプオタで、物事を「バンプに対して許せるか否か」でしか判断してこなかった。私はバンプのボーカルである藤原基央さんというひとの声にかかるエフェクトはあまり得意じゃないのだけれど、それは藤原基央さんに生き物としての獰猛さを見ているからであって手を伸ばしたら消えてしまいそうな電脳世界の向こうの男の子の歌声に対してはその限りではないのだと知った。

 

ここにあること うたってみた【そらる】(ふわりPさん)2011/09/19投稿

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泣いているようなウィスパーボイスが印象的。彼は2015年辺りから明確に歌唱力が上がっていくので2011年の動画であるこれは決して上手いというわけではないのだけれど妙に

「聞いたことがありそうでない」歌声をしている。せつない曲調のミドルテンポの曲が似合う。3:58、「ひをてらす」の「す」の高音ファルセットの浮遊感と神々しさったらない。

この動画は、本家の動画自体が綺麗な画像の下に大きめの歌詞が提示されるという作りでわりとカラオケ動画っぽいのだ。なので、この曲を聴きながら「わー、大学時代にサークルにこれだけ歌える先輩がいたらサークル後の飲み会の二次会とかで「先輩、スピッツの「楓」歌ってください!」とか言うなー」と思っていた。なんでスピッツの楓なのかというと、私の中で「切ない曲調のミドルテンポの名曲」の定番だから。

2016年といえばもう大学生活も遠い思い出となっていて、サークル仲間でのカラオケという日常の行為、もっといえば卑俗な行為にとられそうなことも何だか尊く遠いことに思えた。私の人生の記憶の中で、同年代の男性のカラオケでの歌唱を本気で褒め称えたことが一度だけあって、それは大学時代のサークルの先輩たちと少人数で行ったカラオケでのことだ。プロのように上手いというわけではなかったのだけれど、声や雰囲気にRADWIMPSの「愛し」がとてもハマっていて、先輩、これから「愛し」十八番にしてくださいよ!とか言っていた記憶がある。

何故か少し重い話になってしまうかもしれないけれど、在学中にその先輩は唐突に病気で亡くなり、私はRADWIMPSの愛しを聴くと今でも大学時代のふわふわとした心情やもう絶対に戻れない時間のことを思い出すのだった。大学生の男女カラオケ、という極めて俗な行為も私の中ではもはやセピアのフィルターがかかる。そらるさんもRADWIMPSが好きなようなのでやっぱり世代が近いなと感じたりもする。

 

夕立のりぼん 歌ってみた【そらる】(みきとPさん)2012/11/15投稿

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「切ない曲調のミドルテンポ」真骨頂。

ふわふわと漂う湿った声、不安と焦燥を掻き立てる。

 

雨き声残響 歌ってみた【そらる】(Orangestar さん)2014/10/11投稿

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しとしとと呟くような歌声、張り裂けるような高音、遥かに響かせるファルセット……シンプルなピアノオケをバックに、3分弱の間に彼の魅力すべてが詰まっていると言ってもいい。

 

だんだん早くなる 歌ってみた【そらる×まふまふ】(40mpさん)

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これ!!!!これ!!!!!!!!!この動画にやられたところがある。この曲を2016年2月3月頃に聞きまくっていたせいで、そらる×まふまふというコンビはゆるふわかつ可愛いところを全面的に打ち出していく二人組なのかな、という凄まじい勘違いをしていた(After the Rainというユニットの特徴についてはこれから別エントリで書いていく予定)。

音域の広い二人が、曲の中でオクターブ上げて歌っていくアレンジをしていて意欲的。

個人的にはそらるさんが、いちばん最初の低さから一オクターブあがった中音域でいきなり声の艶を増すところが非常に印象的。まふまふさんは超絶ハイトーンを得意とする歌い手さんだけれど低音域も中性的な低音でそこまでムラがない。まふまふさんの方が声の扱い方に関して器用なシンガーで、そらるさんは頑張れるけれど不器用。といった印象はこの曲で出来上がった感じがある。個人的にですが、「不器用なひとが試行錯誤していく」という過程が、二次元でもなんでも、大好きなんですね。趣味といいますか。テニスの王子様跡部景吾とか。DEARBOYSの布施歩とか。ハイキューの及川徹とか。

1:39~まふまふ、1:46~そらるの超ハイトーンは、そらるさんがあからさまにハイトーン音域をあまり苦にせず出せるまふまふさんに引き摺られて自分も出したい!となっている感じがあってハラハラするけど魅力的!と思った。

歌い終わった後咳き込みながら笑っているところもとても可愛くて好きだったのだけれど、セカンドソロアルバム「夕溜まりのしおり」製作終盤に収録したこの曲以降気管支炎で3ヶ月位新しい歌動画を収録できなかったようなのを知って、うわあああ無理して歌うタイプかな?大丈夫かな?と心配したりしていた。何もかもがフラグ。

 

そんな感じで2016年2月半ば~3月辺りは過去曲をひたすら追う日々。4月になったらまた違う段階に入る、というのも4月12日にAftertheRainファーストアルバム「クロクレストストーリー」が発売されるからなのだ。

奇しくも、4月12日は、BUMP OF CHICKENのボーカル&ギター藤原基央さんの誕生日。

「私は藤くんの誕生日だっていうのに違うボーカリストの歌を聴くことになるの?」とまた混乱。

とにかく私のそらるリスナー前半は「バンプという信仰を彼の存在は脅かさない」という安堵と「物理的に、バンプオタとそらるリスナーを両立させるのは無理」という葛藤の間に立たされる。

書きたいことが多すぎるのでもうここで書いてしまうと、私は「そらる」という名を持った歌うひとの存在に惹かれ「その実物を目撃したい」と思ってから最初に告知されたライブ、AftertheRain(そらる×まふまふ)両国国技館2daysには行くことが出来なかった。

ちょうどまるごと2days、BUMP OF CHICKEN日産スタジアム2daysと被っていて、もうチケットも取っていたからだ。

日産スタジアムは1公演7万人動員だというのにこれまた両日大変苦戦しながらチケットを取った。バンプのライブではいつも一緒に行く高校時代からの友人も、私がバンプ20周年記念ライブに行けなかったことを機に乱心状態であることは知っていたが「バンプを蹴ってでもAtRを見てみたい」なんてことを言い出すほどになるとは思っても見なかったようだ。

私も思っても見なかったけれど、とにかく膨大に過去の活動記録があって、どんどん自分の中で「そらる」という存在のイメージ像が固まっていって、でも全部が儚く思え、「今を逃したらもう見られないんじゃないか」という強迫観念に駆られていた。

元々、20周年記念ライブが見られなかったという猛烈な悲しみからの逃避から始まっているので精神状態がぐらっぐらなのである。

だんだん自分の中でも、「BUMP OF CHICKEN」という神様への信仰(これがどういう信仰なのかもまた別エントリで書きたい)とは別に、自分の大学時代の郷愁に近いところで淡く漂う儚い「そらる」という妖精が零すキラキラの粉が私の生活にきらめきを与えてくれていることに気付き始めていた。それがどのくらい長く続くものになるのかはその時点で見当もつかなくとも。

バンプオタ14年目にしてとある歌い手さんにハマった話

すべてのはじまり

事の始まりは、2016年2月11日「BUMP OF CHICKEN結成20周年SpecialLive」in幕張メッセのチケットを取れなかったことだ。バンプのことは15歳から大好きで、人生の指針としてきたバンドだ。私は1987年3月生まれなので、2016年の時点では14年ファンをしてきていたわけだ。

その14年の間、勿論好きな思いがいつだって同じ量だったわけじゃない。バンプの変化がどうというより、自分の問題で、20代後半に差し掛かる頃には、少しずつ10代の頃ほどのような、身を焦がしバンプの挙動次第では自分の生命にまで支障が及ぶのではないかというような執着は減ってきていたように思う。彼らが歌う生も死も未だに眩しいけれど、「ガラスのブルース」を15歳の冬に初めて聴いて、“私もうたを唄って死んでいく「ガラスの眼をした猫」のように生きたい”と震えるほどに望んだ感覚は生活の中で少しずつ摩耗していった。

私の中でバンプが思い出になったことはなくて、今でも新曲を緊張しながら待ち、震えながら聴き、ライブの前は「今の私はバンプと向き合っても恥じることのない姿をしているか」と自問自答してはいる。元ファンではなくて、今もまぎれもなくバンプファンなのだけれど、でも私は20周年記念ライブを見られなかった。

20周年記念ライブでは、キャリアのわりにはあまりライブをする回数が多くはないバンプがライブで初めて披露した曲や、ずっと聴きたかったあまりやらない曲(66号線)が演奏されたことを知って特別な時間に居合わせることが出来なかったのだという実感が日々強くなっていった。結局20周年のライブに行けなかったというのは「何が何でも行かないと死んでしまう」という気持ちでチケット取りをしなかったということなのかな、とも思って、非常に落ち込んでいた。

きっかけは「名前」

バンプのことを考えるのをやめよう、と思って自暴自棄かつ適当にネットサーフィンしていたところ某イラストコミュニケーションサイトの新着欄で見つけたひらがなの名前、それが彼だった。同じくひらがなの名前の男のひととセットのように扱われていた。歌い手、というタグが付いていた。歌い手という存在は知っていた。ニコニコ動画で主にボーカロイド曲を「歌ってみ」るひとのことだ。ガゼルさんが歌う「メルト」が好きだった。大学時代に友達の家で「恋と戦争」の動画を見た覚えがある。逆に言うとボカロPはryoさん、歌い手さんはガゼルさんしか知らない、2010年以降は全く見たことがなく偏見もなければ知識もゼロ、というまっさらな状態だった。

「え、歌い手さんにイラストとかって描けるもの?声からイメージして?確固たるキャラクター性みたいなものってあるの?歌だけの存在に対してイラストを描きたいと思う位熱烈なファンってつくものなの?」

猛烈なクエッションマーク。クエッションマークを抱えながらも私がその存在に興味を持ったのは、名前が非常に魅力的だったからだ。一言で言えば「変綺麗」。イラストを見てみれば、カッコいい扱いをされている感じの男性だということが分かったけれど、名前だけとってみると女の子のHNだとしてもおかしくない感じ。意味があるようでその意味より響きの方が優先されている感じの名前。気になる。

今までずっと本名で活動するひとたちが好きだったので、自分の意思で付けられたその名前、その名前を自分に付けてインターネットで活動する成人男性、という存在から感じ取れる不思議な自意識に興味を持った。そして、その名前でググってみたら大百科がヒットした。そこで知ったのは、現存最古の動画がバンプの「睡眠時間」をギターで弾き語りしてみた動画だということ。

えっ、とか、おっ、とか思った。

この曲、そこまで有名じゃない。2004年7月に発売された「オンリー ロンリー グローリー」というシングルのカップリング曲。バンプは2000年代に、物語性の強さゆえにFLASH動画がたくさん作られてインターネットで有名になったバンドだけれど、睡眠時間ってそういう曲じゃない。多分この曲でFLASH動画が作られたことってない。多分このひと、CDでバンプを聴いてる。インターネットでバンプに出会った世代じゃないかもしれない。インターネットでバンプに出会った世代って出会った当時小学生であるような子がたくさんいてそういう世代は数年私より下になるんだけど、このひと多分そうじゃない。私と同じくらいの年かも。2008年7月に投稿しているってことは多分、同年6月発売のカップリング集『present from you』を聴いたんだろうな、などと、当時の彼のバックボーンを想像した。バックボーンを想像し得た。それは大きかった。

歌声

いざ聴いてみた歌声は、ふわふわしていた。声は重いというか湿度が多いのだけれど実際の重量はそこまででもなく語尾がふわーっと溶けて消えていく感じ。カラオケでも、バンプを唄うひとというのはやっぱりフロントマン藤原基央というひとの影響が大きいのか声を少し掠れさせてぶっきらぼうに歌うイメージが強かったのだけれど、そういうところが全然なかった。「バンプを通過している」「でも歌声が藤と全然違う」というのはとても印象が良かった。ちょっとフェミニンな歌声で、上手いってわけじゃないけど内省的な歌い方が良いなと思った。攻撃性があまりないところ。

バンプのことは、藤原基央というひとが発する苛立ちや苛立ちの奥に潜むイノセントが凄く好きなので掠れた声や吠えるような初期の歌い方が凄く好きなのだけれど、それは藤原基央のそれだからこそ好きなのだ。

そもそも私は音楽というものを好きになったきっかけがバンプで、そこから、それ以上に好きになれる「音楽をやっているひと」を見つけることが出来なかった。藤原基央というカリスマがどんどん自分の中で絶対的なものになっていて、藤原基央を否定するような存在は勿論受け付けないけれど「藤原基央に似ている声のひと」なら藤でいいじゃんと思ってしまうので聞く必要がなくなってしまう。藤原基央に似ていない声で歌われるバンプの曲は、妙に新鮮だった。とはいえ、「睡眠時間」は非常に初期というか「現存最古の動画」だ。趣味で歌ってギター弾いてみました、以上の出来である筈もない。相手は、それから7年以上活動しているひとなのだ。そう思って次に、当時最新の動画だった「ゴーストルール」(DECO*27さん)の歌ってみた動画を聴いた。歌は驚くほど上手くなっていたし音源としての出来も格段に違っていたけれどもっと本質にある、「重たい浮遊感」という印象は変わらなかった。今になって思えば、この2曲というセレクトは彼の特徴・魅力を感じとるベストチョイスではなかったと思う。「フェミニンでちょっと暗くて浮遊感があって陰があるウェットな声質」は今の私が感じる彼の歌が持つ大きな魅力だけれど、「睡眠時間」では発声の拙さによって、「ゴーストルール」ではロックで攻撃的な曲調と当時彼が積極的におし進めていたミックスボイスでの高音によってわりと分かりづらくなっているかな、と思う。それでも、最初から、その魅力を感じた。

彼が投稿した歌の動画300程をすべて聞いたあとでも魅力は「フェミニン」「ウェット」だと思うし、そしてそれらはどの動画から入っても感じ取れる、ということの証明にもなるといいなと思う。もっと言えば、彼を好きな人は何処から入っても好きだろうし苦手だと思ったらずっと苦手なんじゃないかな、と思った。

そして、歌声のクセと、クセがあるけれど綺麗なところは、そのまま名前から受けた印象と繋がっていた。

人気あるのがわかる

「そらる」って、空に「る」をつけたものなのかな?空の動詞化?空が好きなの?

(公式プロフィールによると「空を眺めるのが好きなことから」(「空」を眺め「る」?)らしい)、女性っぽい感じがする、それらの印象と歌声がほぼ一緒だったので驚いた、気もするし驚かなかった気もする。

何となく

「ああこうやって人物像を想像していくうちに想像のイラストを描きたくなる位好きになったりするのね」

ということに納得していっていた気がする。

何となく最初から「これは人気あるな(同時に叩かれてきただろうな)」と分かっていた。この人は人気があるだろうな、というのはもう出会った時から、正確な「人気」を測る基準は知らないけれど、思っていた。生放送で、気だるげで吐息の多い喋りかたをするところを確認していたし、ツイートもひらがなが多くてゆるふわで明確に「そらる」というひとの文体があった。それらが絡み合ってキャラクター性が生まれ、その人が投稿する歌は「この人がこんな歌詞を歌っている」「この人にはこんな感じの歌がやっぱり似合う」といった感想を抱かせるものになっていく。これはアイドル性に近い。

明確に歌が上手い!とか声質が圧倒的に特徴的!とかではないけれど色んな要素が絡み合ってキャラ立ちしていく場合、その「魅力」の言語化の難しさゆえに叩かれるものなのだ。彼が自ら「自分ほど叩かれてきた歌い手もそういないと思う」という、その存在を掴むまでさほど時間はかからなかった。

黒髪色白前髪長い系(藤原基央直系だ)のルックスをしているイメージ(一部顔が隠れた画像は複数確認)、でもあんなにソリッドじゃなくてもっと柔和(これは声のイメージもある)、フェミニン(声のイメージ)、低音イケメンボイスと言われているけれどそんなに低音じゃない、でも優しい感じ、歌い方のくぐもったところなどナルシストっぽく取られそうな要素もあるけれどそれは人気にも叩きにも両方に転ぶだろう……

ちょっと調べているだけであっという間に時が流れ、そうしているうちに「誰も知らないハッピーエンド 歌ってみた(そらる×まふまふ)」(40mpさん)が投稿されたのだったと思う。彼は当時、1月にまふまふさんという、2014年から共に活動していた歌い手さんと「After theRain」と名付けられたユニットを正式に組んだばかりで、そのファーストアルバムを制作している期間でもあったのだ。

最愛のバンドの20周年記念ライブに立ち会えなかった憤り、悲しみ、やるせなさは、そのまま、「これから走り出す」ユニットへの関心に向かっていった。