藍より青く

歌い手のそらるさんにハマったバンプオタのブログ。@momomomoai3

ファンであることは暴力だとしても

After the Rainさいたまスーパーアリーナ2days「雨乞いの宴」「晴乞いの宴」が行われたり
After the Rain2ndアルバム「イザナワレトラベラー」が発売されたり
オリコンランキングがジェットコースターの末ウィークリー2位になったり
そらるソロでアニメ「ゴブリンスレイヤー」エンディングテーマをやることが発表されたり
シングル「銀の祈誓」発売が決定したり
半年後の全国ツアーも発表されたり

精力的な活動に圧倒されるばかりの日々。

とても精力的であるけれど、”疲弊”のことはいつも考えている。
そらるという名で活動をしてきてもう10年という年月、色々なことがあって、
その上で正式にユニットを組んで全力で駆けてきた2年9か月。
疲れているに、決まっている。

AtRというユニットもかなり凄まじいところがあって
私には「二人三脚をしながら100メートルを9秒台で走ろうとする試み」のように見える。
「二人三脚」は比喩ではなくて、具体的に足の片方を結んで、足並みを揃えて走る、あの競技のこと。
彼らは違う人間でそれぞれソロでの活動者であるけれど、
「ユニットを組んだからにはトップスピードで駆け抜けたい」という点は一致している。

ユニットでも、ソロでも、よりトップスピードを。

トップスピードであることを求めているのはリスナーなのかもしれない。
インターネットを活動の主軸にしている存在がスピードを求めていくのは自然の流れかもしれない。
消耗してほしくない、消費したくない、なんて思うことはそれなりに綺麗事だ。
その一方で、多くの人の目に触れて何か嫌なことを言われてほしくないと思うこともエゴだ。

向けられる好意も悪意も同じように対象を摩耗させる。
好意を持っているものが、悪意を持っているものに対して苛立つことも、

対象自身を疲弊させる可能性のある刃だ。

他者に向ける感情は、どんなものも刃だ。

数多の見知らぬ他者から向けられるそれなんてもう、致命傷を作り得る凶器だ。
それでも、だけどそれでも、活動してきてよかったと思ってほしい。
思ってくれていると信じているし、あと少しで試聴できる「銀の祈誓」を緊張しながら待っている。

この、自分のことでもないのに「緊張する」ということ自体、どうなんだろうとも思う。
「そらる」というひとを追っていると、過度に感情移入してしまう。
少年漫画を読みながら「この試合、この学校には絶対に負けてほしくない」と思う時のように。

歌い手というジャンルを「距離が近い」と思ったことは私はほとんどなくて、
いつも「キャラクター」を見ているかのように遠い。
キャラクターじゃなくて人間なのに。

いつだって、私はファンでいるということはほとんど暴力だなと思っている。
バンプを神格化することも、そらるさんをインターネットに棲む妖精のように思うことも、暴力だ。
登場人物じゃなくて読者でいたいのだ。同じ世界に住む人間に対して。
偶像という意味でアイドル的なものを求めていると思う。
もう2年半求め続けてきたし、わりと今更なのだけれど。
見たい。彼が見る、高いところからの景色を、見た気になりたい。
いつも申し訳ないしいつもありがたいし、そんな気持ちだ。

ちなみに、今日、はんぺんおやすみクッションが自宅に届いた。
ふわふわもちもち。ありがとう。