藍より青く

歌い手のそらるさんにハマったバンプオタのブログ。@momomomoai3

BUMP OF CHICKEN8thアルバム「Butterflies」感想(2016年2月執筆)

軽やかかつ広がりのある多彩な音像が、あまりにも自然に鼓膜を震わせる。
EDMの要素が強い曲、タイトで強靭なバンドサウンドが全面に表れた曲、アコースティックな印象が強い曲など、様々なアプローチがなされた柔軟なアレンジ。
そしてど真ん中にはいつものように強靭な響きを湛えた声が、以前よりさらに伸びやかかつ艶やかな佇まいで鳴り響き、まっすぐにこちらの心の奥底まで突き進む。
気負いなく、でも確かな衝撃をこちらに与える鮮やかな音楽。それがBUMP OF CHICKENの最新作、8thアルバム「Butterflies」である。

ライブでは各公演で数万人を動員し、昨年末には初めてのNHK紅白歌合戦にも出場したバンプ。今年で結成20周年を迎えた、経歴からいえばベテランのバンドであるのに、年々活動は活発化し、初の試みにも挑み続けているここ数年の彼ら。
そのたびに新たなファンは増えていき、同時に彼らのもとを離れていったファンもおそらく数多くいる。そのことを思うと胸の奥がきゅっと鳴る感覚を覚えてしまう。
バンプのフロントマンとして歌い続ける藤原基央というひとはこれまで、もう一体、どれだけのひとと出会い、そしてお別れしてきたのだろうか。

”その手を上げて見せて 生きていると教えて
 君と出会うために生まれる音に 命を与えて”
(孤独の合唱)

"伝えたかった事 伝わったのかな
伝えたかった事ってなんなのかな
君の昨日と君の明日を
とても眩しく思う “ 
(You were here)

「孤独の合唱」、「You were here」では、「ライブ」という、バンプとファンが生身で出会う場所について連想させる歌詞が歌われている。お互いの生を確かめ合う「ライブ」の時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。そしてその後、あの時その場にいたひとがどんな形でバンプに触れていくのか、彼には知りようがない。
一度のライブで会うひとたちの数は、もう眼では無数の光にしか見えないであろう程膨大で。そしてきっと様々な事情で、今後もう二度と会えないひともそこにいる。けれど、何ひとつ確かめる術を持たないまま、彼はまた次のステージに立って歌って一期一会を繰り返すのだ。それは一体、どれほどの孤独だろう。
そんな、こちらの勝手な感傷などそっと微笑みで返してみせるように、このアルバムに収録された11曲はどれも「痛みとともに生きる今」をふわりと音の元に羽ばたかせて、きらめいている。

収録曲で私が特に胸を打たれたのは「宝石になった日」。聴いてまず思い出したのは、6thアルバム「COSMONAUT」に収録されている「R.I.P」という曲のことだ。

”体温計でズルして早退 下足箱に斜陽 溜め息ひとつ 
母の日の朝 父さんとふたりで 尻尾の付いた友達の墓 

悲しいことは宝物になった 
君もきっと そりゃもう沢山持っているでしょう” 
(R.I.P)

「宝石になった日」は、その、宝石になった悲しいことについての歌に聴こえる。初めて死の存在を実感した時の思い出という宝石をそっと聴く者に見せてくれる、そんな歌だ。

”君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻 
あまりにも強く輝き 瞬きの中に消えていった 

あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう 
時計の音に運ばれていく” 
(宝石になった日)

何度聴いても、「どれくらいしたら普通に戻るんだろう」で泣きそうになる。苦笑するように顔をゆがめてしまう。君がいることを当たり前だと思っていた「普通」に戻る日なんて、来るわけがないから。
死を自分の身体で、稲妻に打たれるように感じる前の自分になんて戻らない。戻れない。ずっと寂しい。その寂しさをそっと抱きしめて生きていくひとがこの曲にいる。
君がいる普通には戻らないけれど、でも君がいない世界で自分が一見普通に生きていくことに罪悪感を覚えなくてもいいのだ。そう、自分にも聴き手にも言い聞かせているようにも思える。

“こんなに寂しいから 大丈夫だと思う 時間に負けない 寂しさがあるから
振り返らないから 見ていてほしい 強くはないけど 弱くもないから“
 (宝石になった日)

大切な存在と出会ったことが、別れの際に自らの心を殺していく重い鉛になってしまうのなら、絶対にいつかは死ぬ宿命にある私たちは、誰とも出会わない方が幸福なのだということになる。そんなことは絶対にない、と彼は歌う。

“大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない”(ray)

7thアルバム「RAY」でも、リードトラック「ray」をはじめとして、「別れの痛みが放つ光」が大きなテーマとして掲げられていた。「Butterflies」では「涙」や「宝石」といった具象物での比喩を使ってさらにそのテーマを探求している。
別れの悲しみとは、大切な存在と出会ったことのかけがえのない証であり、きらめきであること。そして、生きていく中で誰かとの別れによる痛みを忘れてしまった気がしても、心の奥底には痛みが、寂しさがちゃんとしまってあるから「大丈夫」なのだということを、バンプの楽曲は伝え続ける。

私が初めて身近な存在の死を経験したのは9歳の夏、私は今年の3月で29歳になるので奇しくもバンプの結成と同じ20年前の、曾祖母を亡くした時のことだ。曾祖母のことを私は「ババ」と呼んでいて、夏休みと冬休みのたびに遊びに行くのが楽しみだった。享年92歳、十分「大往生」と言われる死だろう。
でも私は悲しかった。何でババが亡くなったのにこんなに空が晴れているのだろうと、無性に腹が立った。ひと一人亡くなった位では、何も変わらない世界が悲しかった。葬儀からの帰り道、「ババは死んじゃったのに、私は元気で生きてていいのかな?」と呟いた私に、「いいんだよ」とそっと母が言った。
あなたが元気で笑って生きていたら、ババは嬉しいと思うよ。
その声の響きが今も胸の奥に残っている。そう信じたかったし、信じようと思った。空の青さを恨まず、笑って生きていこうと思った。曾祖母と過ごしたかつての時間。そして母からの言葉。どちらも私の中の柔らかいところにそっとしまってある宝石だったことに、「宝石になった日」を聴いてやっと気づいた。

バンプを聴いていると、自然と自分の人生を思い起こすことになる。20年ずっとステージの上で「歌って」生きてきた人の生き様と、それぞれの舞台でそれぞれの毎日を生きる私たちの生がシンクロしていく。

“涙は君に羽をもらって キラキラ喜んで 飛んだ踊った
 消えてしまう最後まで 命を歌った 量産型“(Butterfly)

別れとは、死とは、生きているもの誰もが味わう喪失だ。皆が経験するという意味では、いわば「量産型」の悲しみである。だからって「皆耐えているのだから」と、自分の痛みを押し込めて傷ついていることを自分にさえ認めずに、涙を堪えて生きていったりする必要はないのだと、曲がそっと教えてくれる。

思い返せば私が初めて「傷つくことは悪いことじゃないんだ」と思えたのは、14歳の頃、バンプの3rdアルバム「jupiter」というアルバムを聴いた時のことだった。それまで、傷つくとは自分の周囲にいる家族や友達を責めることだと思っていた。それより自分の傷なんて見ないで、痛いなんて感じないようにして、自分の感情から逃げている方が楽だし、そして正しいことである気がしていた。
でも「jupiter」に出会った時、身震いする心地がした。そこには、真剣に自分や他者と向かい合うからこそ生まれる傷をまっすぐ見つめ、ひとと触れ合うことで生まれた愛しさや優しさをそっと拾って、ひとつひとつを感じながら明日へと向かう生きものの姿があったから。「感じる」という行為から逃げない生き様はあまりに眩しかった。
それからずっとバンプの音楽が私の傍らにある。そして今も、彼らの「感じる」ことへのまっすぐさが変わらずにあること、かつ、よりタフになっていく在り方に、身が奮い立つほどの勇気を貰っている。

私たちは誰しも、生まれ落ちた時からもう嵐の中だ。自分で自らの存在を諦めたりしないで生きるという戦いに日々挑み、出会った生き物とはいつか必ず別れを迎えるという定めのなかで誰かを愛し、そして別れるたびに痛みを覚える。無傷でなんていられない。
そのたびに零れる彼らの、数多のひとの無数の涙。その涙のきらめきが、音という形となって私たちの耳に届く。

本当は怖いことばかりであろう臆病者たちは、常に自らの傷と向き合いながら必死に歩いている。見た目にはかつてよりも軽やかな歩調で、でも消えない痛みを抱いて。
このアルバムで鳴っているのは「彼らが今持っている覚悟」だ。覚悟を持ちたいという気概でも、踏み出すぞという宣言でもなく。「嵐のさなかで歩き続けてきたしずっと歩いていく」という、現在形でなされていて、そしてこれからも続いていくに違いない事実。
それは、臆病であっても弱くはないひとの「生きているよ」という肉声であり、同時に「君は生きているよ」というメッセージでもある。

“ハロー どうも 僕はここ”(Hello,world)

“ここにいるためだけに
命の全部が叫んでいる
涙で出来た思いが
この呼吸を繋ぐ力になる“(ファイター)

“掴むよ 掴んでくれた手を
闇を切り裂け 臆病な爪と牙”(ファイター)

強くなくたって、バンプはステージに立ってくれる。ステージの上で生き続けてくれる。その存在を、音を、そこから発されるきらめきをこの身に浴びて、ここにいるよと強く腕を上げたい。20年歌を歌ってきてこれからも歌っていくひとの持つ、今後またより多くの人と出会い、より多くのひととすれ違っていこうという、軽やかでありながら眼差しのまっすぐな覚悟をライブで受けとめたい。

いつだって真摯に、出会いと別れを繰り返してきたBUMP OF CHICKEN。さらに多くの人々との出会いと別れを繰り返すことになるスタジアムツアーにこれから向かう彼らの旅路に、心からの祈りを。そして、ライブでの彼らとの出会いを心待ちに、私は自分の毎日を生きていく。