藍より青く

歌い手のそらるさんにハマったバンプオタのブログ。@momomomoai3

2010年代半ばのバンプと初音ミク及びニコ動音楽

2016年というのは(近年、2000年代後半の沈黙期間が信じられないほどに活動しているバンプではあるのだけれど)バンプがとてもアクティブだった年で、2016年2月10日に8thアルバム「Butterflies」を発売し2月11年に20周年記念ライブを行い、更に4/9~7/17には初のスタジアムツアーが決まっていた。

バンプはアルバム発売にあたって三年間隔が空いてもおかしくない位割と寡作なバンドなのだけれど、「Butterflies」は前作「RAY」を出してから1年半の間隔で発売された。RAYでも片鱗を見せていた積極的に打ち込みを取り入れていく姿勢、EDM路線が更に加速していき、2000年代前半からのファンとしても、バンプが見たい視界の先を捉えようと必死だった。今になってみるとバンプの変化とその意味を、受け手としても言語化することが可能だ。

簡単にまとめると、バンプとは幼稚園時代からの幼馴染で10代半ばにして組んだバンドであり、まず人間関係から始まっているゆえに元々音楽的に「やりたい理想のスタイル」は固定していないバンドであった。初期のシンプルなギターロックという評はあくまで外部から与えられたもの、自分たちの精神の在り方がそのまま音楽のスタイルに直結する彼らだからこそ、色んなクリエーターとコラボしていく中で一度「どんな形の服も着てみる」ことこそがより自分たちを自由にするのではないかという試みがそこにはあった。

だけれど、当時の私は、まだ戸惑いの中にいたと思う。2014年の、RAYの時点での戸惑いからいよいよ逃げられなくなったのが2016年だったという方が近いのかもしれない。供給の多さにも戸惑っていたし、その中で20周年記念ライブのように決定的に受け取り損ねたものがあると、もうあっけなくその後悔に立ち止まってしまう。最初、そらるさんの動画を聴くことは、気晴らしだった。そらるさんの過去動画を一気に聴いていく中で数年分のニコニコ動画音楽カテゴリの特徴を一気に把握する事態にはなったけれど、個人的にはバンプの20周年記念ライブという「行けなかったもの」を悔やみながら新譜を聴き、土臭さやいなたさ・つたなさの中に見えるピュアな衝動をバンプと切り離せないものとして考えてきたことは違ったのかもしれないと立ち止まり、スタジアムライブでどのような景色を見ることになるのかを考えていく方がずっと情報量として膨大な、処理しきれないものだったからだ。

偶然の思し召しでニコ動音楽に私が触れていくことは、2014年に「ray」という楽曲で初音ミクとデュエットし東京ドーム公演にもミクが登場した2010年代半ばのバンプを理解していくのにも非常に適していた。

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かつてFLASH動画において(本人たちが知らないところで)多大に二次創作されてきた、1979年生まれの彼らより下の世代(1980年代後半~1990年代前半生まれ・私が知る限りでは米津玄師(ハチ)さん、NeruさんといったボカロPさんがバンプの影響を公言している)に大きな影響を与えた彼らが、それでいて下の世代のバンドに言及したり主催ライブを開いて直接的なチャンスを与えたりすることはなかったバンプが、初めて「自分たちは次世代のミュージシャンとの繋がりの上に立っている」ことを彼らの側から示したのが「ray」だったのかもしれない――――というようなことを、そらるさんの「歌ってみた」と本家のボーカロイド曲をセットで聴き進めていく中で考えていた。

別にきっかけは歌い手じゃなくても、そらるさんじゃなくてもよかったかもしれない。でも多分バンプが「初音ミク」とコラボしたという事態がどういう意味を持つのかを知るには数々のボカロ曲の存在を知ることは必須だったように私には思える。そしてそのためには、「ボーカロイド」という「歌うロボット」という概念及びその音声のことは聴き浸るほどにフックを感じなかった人間にとっては、「歌い手」という肉声を持つ、同時に二次創作であるから本家であるボカロ曲を聴くことがマナーであるとされる存在に興味を持ったことはものすごく幸運なルートだった。

それもこれも2008年7月22日にそらるさんというひとが偶然にも「睡眠時間」という動画を投稿してくれていて、2016年にも積極的に活動して人気を保っていてくれていたからだ。

よく歌い手という存在はインターネットカラオケマンというふうに揶揄されたり客寄せの意味合いで扱われたりしている印象を持つけれど、その意味で、彼は私という、今まで違うところにいた客を見事に「ニコ動音楽」というフィールドに客寄せしてくれた。